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卒業その1「合唱と勇気」

今日は誕生日ですよ、って言っても夕飯にタンシチューがでるくらいしか変わりませんがw

えー今日チャーシュー買いに行ったら、近くの保育園が卒業式だったので。
前々から言っていた卒業ネタ1個目。
前回と続けて長々しい文章です。この話は小説のネタストックに入ってたりします。

うちの高校はお世辞にも賢い学校ではない(新設校第一期生なので学力がマチマチ。友人の中にも慶応行きのやつがいると思えば偏差値50以下の学校も受からない奴もいる)のですが卒業式、例によって合唱の練習がありました。

高校ともなると音楽の授業はないですし、歌の練習一回一回が大切なものです。
しかしもちろん高校生。頭の悪い奴になればなるほど「かっこ悪い」の念にかられて歌わない。
カラオケの威勢はどうしたアアアアアアアア!
と叫びたくなります。俺自身あまりカラオケに行く人間ではないので想像ですがね。

ピアノやってる奴、指揮やってる奴、見本で歌う奴と最後に一頑張り見せているやつはいるのに同調できない。
正直、小中と合唱で「歌う」ことができなかったのでしょうが、一昔前によくテレビで見た「KY(空気読めない)」ですがこれのことだと思います。偏見ですが皮肉にもKYを使う人間ほどKYかもしれません。

一所懸命は勇気のいる行為です。一所懸命であればあるほど集団から目立ちます。目立つというのは一種の孤立です。
大概の人は孤立を好みません。もちろん人間という動物はもともと群れでなければ狩もできずに逆に駆られてしまう動物なので全ての人間は群れを求める深層心理を持っているのでこれは仕方の無いことです。

しかし人は考え改める能力を持っています。これこそが人間の一番の武器であり、最高の恵みあることは長い歴史で人間が生き残り、繁栄していったことが証です。
この力は前回の自己投影の根幹で本能をいろいろな方向に捻じ曲げる力です。
群れの保守的な状態から抜け出し革新的な方向に飛ぶ。これに対し群れは本来「飛び出したものを引き戻す」もしくは「それを先頭に続いていく」この二つの方法のどちらかを示すべきなのですが、考えなくても親が抱っこしてくれている現代の未成年(一部の成人も含む)にはその必要が無い。それが続いていつしか全てに「人任せ」の態度をとってしまう状態になることは最近よく見れます。

間違ったとき、つまり完全なる孤立の状態を恐れ、さらに「決断をしない」という行為に危険(本来は決めなければ群れの頭数が減るので相対的に危険となったり、回避すべき自体に瀕することになる)がないので曖昧な態度しかとれなく、危険を感じたときには既に遅かった。なんてことがよくあるのです。
これを現代社会で経験するところの代表格といえば受験ですね。「もう少し勉強していれば・・・」よくある話です。
こういうことがないように本気で取り組む場所では本気で取り組むのがいいのです。

ちなみに「なるようにしかならない」という言葉がありますがそれは「何もしなくてもどうにかなる」わけではなく、「人事を尽くして天命を待つ」チャンスを待って飛び掛る類のものです。飛び掛る準備が無ければなるようにもなりません。

話を合唱に戻すと今回はほぼ確実に一所懸命にやる場面です。
失敗を笑われる(本来は指摘したり、わが振りを直す)などがあるかもしれないけれど、それは先のこと。
全員本気であれば普通嘲笑など起こりうるものではないのです。
その状態になるよう信じる。この信じることにとても勇気が要り、危険を感じたら逆に引き止めることにも勇気が要るのです。もちろん信じることや危険を感じることにはそれなりの学は必要なわけから、決定する勇気ないのは自己と学がないのを露呈しているのと同じです。


最後になぜ一所懸命やらねばならないのか。
これは先のように万が一のとき勇気を出すための予行演習ということもありますが、一番は「全てのため」です。
それだけ覚えておいてもらえればいいですかね。
これ以上は今書いているFakedの主題である「命(人生)の意味」に大きく絡まってきますのでまた後日。
といった感じです。
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コメント

非公開コメント

No title

うーん、正直ここは趣味の問題のように感じました。
群れでいなければならない状況が過去にあったとして、それは生き残りに関したことであり、合唱はしなくても死ぬわけでもないから、単純に趣味の問題じゃないかなと。興味がなかったら、それ自体に意識さえ向かないわけで。
また、本能的安全のために群れるということは、多かれ少なかれ人間の中にあったとしても、そういう本能が強く働いて生きている人と、そうでない人(理知的な人)には多大なる差があると思います。

No title

一生懸命は疲れるので、なるべく回避したいです(いきなりぶち壊しw)
ですが、やらなければいけないときに、やらないのはダメですね。
卒業式は、基本一生に一度なので、後悔する様な振る舞いだけはやめておいた方がいいと思います。

というわけで(どんなわけだ)、ブログのリンクを貼りましたので、
相互リンクよろしくお願いします。

あおとりさん

まず前提として
・趣味と大きく違うところは卒業式の合唱であるというところ、つまり参加不参加の決定権が己に無いところ。
さらに
・群れる本能の対象は基本的に人間全体ですが、対照的にちゃんと本能を捻じ曲げるが人間にはあると言っています。その強弱は個人差があるといっていいです。もちろん使える人間であればあるほど理知的です。
書いてないのが悪いのですがねw


さてこの前提を基にすれば
残るは
Q、興味がなかったら、それ自体に意識さえ向かないわけで。
これくらいですかね。他にあったらお願いします。

A、参加に対する決定権が無い時点で興味云々ではなく歌うことは決まるのです。あとは怠惰に負けて他の足を引っ張るようないい加減な行動をとるかとらないか。一生懸命な人間と強制的であってもつながりを持ったとき理知的な人間がどちらをとるかは明確だと思うんですがね・・・。

しおんさん

そのとおりです。卒業式のようなイベントは個人のものでなく全体のものです。全体の中の個の怠惰で他の個の後悔を作るような行動は極めてたちの悪いものということなのです。

というわけで(どういうわけ)相互リンクありがとうございます。

No title

うん、分かりました。
確かに、よくある「成人式で暴れる」とかにしても、妙な妨害をするのはどうかと思います。そんな感じで、わざと隣で変に歌ったりして妨害をするというのはどうかと思うけど、「歌わない」という選択は個人の意思だと思います。僕の場合は、強制参加のものに対し(それだけでもしたくないという人の自由意志を奪っていると感じる)、自分は一生懸命歌っていたとして、他人がそうしないというだけなら、特に何も感じない(不愉快に思わない)というのがあるからですが。

あおとりさん

うーん、面白いので続けます。
こういうところにはひたすら噛み付くのが好きなのでw

まず全員の「良し」を考えれば特に指揮者に対して歌わないのは失礼極まりない。一生懸命歌の音程、歌詞の入り方を説明した人間は全員に歌ってもらいたくて説明し、歌わない人間のために度々曲をとめるのです。愉快である、最善であるとは思えません。

そして自由ですが。
自由は規律の中で。規律は自由の中で。
どの高校でも歌わないことが「良し」であることは無いと思います。
さらに自ら学業の対価に縛られにいくのです。学校というのは集団行動の場、協調が良し。高校になってはもはや義務教育ではありません。自由がほしければ入らなければいいのですが、奴らは入っています。団体に所属しているものが団体の指揮を落とすような行動はその団体が間違いで無ければするべきではないはずです。

No title

愉快とか最善とかは思いませんが、僕であれば、自分が例え指揮者であっても気にしません。僕は、何事も他者に強制したくはないのです。

「君が代」を歌うか歌わないかという問題も出ていたことがありましたが、ある集団に入った人は、「君が代」を歌うためにその集団に入ったわけではないので、集団の中でも、そぐわぬとかおかしいと思うことがあれば積極的に声を上げていいものだと思います。集団に入ったから、その規律が全て正しいとも言えないです。ある小学校では、1生徒の意見にはじまって、集団の乾布摩擦が廃止になりました。

合唱では、「君が代問題」のように大きな問題になることは、ほとんどないと思いますが、そう、例え他者から見て間違っていてもいいのです。僕は他者に物事を強制はしたくないので、「僕は気にしません」というだけの話です。そして、僕であれば、1人でも歌いたければ一生懸命歌います。

別に他者から見て間違いでも構いません。全ての人に正しい「真理」とかありませんから。こういう考えの人もいますというだけの話です。

あおとりさん

あおとりさん
うっ、君が代問題・・・、卒業ネタのもう一つの片鱗が出てしまいましたね・・・!
別にしなければならない。というわけではないのです。反対するなら反旗を翻す。本文にも書いてあるように間違いだと思う道を他が走ればそれを止めればいいのです。
ただ誠意を見せている人間に無関心というのは義と礼にいささか欠ける、どうせやるなら少しの怠惰をねじ伏せて、気持ちよく終われると思う方に助力するのがあり方ではないか。という話です。

卒業式の合唱で自分の身の振りようが決まるわけではないので俺であれば一人で歌う気は起きません。バカバカしい。
しかし他に一人でも頑張っている人がいれば花くらいは添えてやるのが道理だと俺は思うのです。
しかし花をただの無関心で踏み、枯らす奴がいれば、それは俺の「良し」には入らない。そう思うのです。

まぁ不毛な個人談に入ってしまったのでここで打ち切ります。
やはりあおとりさんは面白い。そこそこ噛み付いたはずなんですけど全然欠ける様子も無くw
なかなかめんどくさい物ではあったと思いますががお付き合いいただきありがとうございました。
プロフィール

シディ

Author:シディ
絵はネットゲームFEZの自キャラを書いていただいたもの

主に日記と小説を発射の予定
アルテイルの火種一号として
そちらもちょこちょこ書いていきます。

・動力源はPCと読書と散歩
・好きな物はリンゴと美人
・嫌いなものは野菜と無粋

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